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著作権法はコンプライアンス泣かせ

著作権法は法科大学などでも教えているのですが、法律を勉強する者にとって、こんなに分かりにくい法律はありません。なぜかというと、まず条文自体が読みにくいということがあります。特に、著作隣接権の条文などは、わざと分かりにくくしているのではないかと思うくらい内容が複雑怪奇で、曖昧です。また、密接に関連している条文が、ものすごく離れたところに置かれているということもあります。条文をあっちに行ったりこっちに行ったりしないと、事案全体を整理できないという意味でも非常に使いにくいものになっています。

■違法か適法か判断が難しい
加えて、判断基準がきわめてファジーです。著作物にあたるのかどうか、著作権の侵害になるのかどうかといった基準はとてもファジーです。最後のほうに出てきますが、『美しい顔』という作品が『遺体』という作品の著作権侵害になるのかどうかが騒動となっていましたが、その判断がきわめてファジーです。
 このように判断基準がファジーなため、ある行為が違法か適法かの判断がとても難しいです。皆さんが弁護士に相談すると「リスクがある」という返事しか返ってこないだろうと思います。我々弁護士としては、判断基準がファジーな問題については、「セーフです」とアドバイスをしたことが後で紛争になると責任を問われかねないので、どうしても慎重になり、リスクがある、というアドバイスになってしまうわけです。
 ただ、基準がファジーであるということは、グレーゾーンということが多いということですが、このグレーゾーンを「リスクがある」ということで常に避けてしまうと、面白いものはできません。魅力的な作品を作るためには、ある程度、グレーゾーンに踏み込まざるを得ないのもまた事実です。
 とすると、問題は、リスクがあるとして、いったいそれは、どの程度深刻なものなのかということです。皆さんが相談される弁護士を選ぶ時に、著作権を扱っていると謳っている弁護士は多いですが、場数を踏んでいるかどうか見極めることが大切です。実際にグレーゾーンに踏み込んだ場合に、最悪のシナリオとして、どういうシナリオが考えられるのか、それはどの程度回避することができるのか、といったことは、実際の事件の経験に基づかないと、判断が難しいところがあります。

■違法なのに、暗黙の了解のもとに公然と行われている
 実際の相談としても多いのですが、著作権法の規定は現実と乖離していることが多いです。違法なのに、暗黙の了解のもとに、公然と行なわれていることも珍しくないわけです。例えば、コミケ/コスプレ、またインターネットで配信されているコンテンツには違法だけどもいちいち摘発していられないからという理由で権利者が放置しているものもあります。
 このようなものは、適法か違法と問われれば、違法だということになります。でも、みんながやっていますから、〝赤信号、皆で渡れば怖くない″ということで、自分もやりたい、と言ってくる方もおられます。そういう方には違法なのだとアドバイスをしても、納得していただけないことが少なくありません。そのように公然と行われているにもかかわらず、違法だとする著作権が果たして社会から支持されるのか、という問題があります。

■適法なのに違法?! ~グレーゾーンでは紙媒体とウエブではリスク度が違う
 問題の3つめは、逆に適法なのに、違法であるかのように扱われていることがあるということです。寺社・仏閣の写真(敷地内で写真を撮るのは別ですが)敷地外の公道からお寺の写真を撮って雑誌に掲載したら、その寺からクレームレターがくることがあります。このクレームレターの内容も微妙で、法外な金額ではなく、編集部のレベルで決済ができる程度の金額を要求してきます。出版社としては、神社仏閣ですから、将来、正式に取材申し込みをしなければならないこともあり得ます。その時に、「お宅はうちのクレームを無視したから許可しません」ということが起きても困ります。ですから、法的根拠は分からないけど、この程度の金額なら、ということで払ってしまうこともあるわけです。
 このように実は適法なのに、違法であるかのような実情の世界も存在しています。


1 著作権の基礎

■著作権とは何か?  
いろんなところで聞いたことがある方もおられるかと思いますが、著作権については大きなポイントが2つあります。
まず、著作権は著作者の有する権利とされていますので、著作物を創作する者が著作物を創作した時に、著作者となって権利を持つという構造になります。これは、著作権を勉強した人にとっては常識なのですが、そうでない人にとっては非常識に思われることもあります。なぜかというと、家を建てる時の例を出すんですが、お金を出して家を作ってもらって出来上がった家が誰のものかと言えば、建ててもらった人のものです、ところが著作権の世界ではそうではなく、お金を払ったのが誰であっても、家を実際に建てた人=大工さんのものだということになっています。もちろんお金を払って作ってもらったわけですから、出来上がった家に住む権利はあるでしょう。だけど、家そのものがあなたのものになるわけではない、というわけです。
これは委嘱作品のようなケースで、問題になることが多いです。どなたか外部の人に作品を作ってもらった場合、著作権は作った人のところに発生する、ということをまず押さえておく必要があります。
編プロが版元から制作を委託される場合は、自分たちのところに権利が発生するという考えでいいと思いますが、編プロが外部のクリエイターに何か発注した時には、外部のクリエイターに権利が発生することになります。

ポイントの2つ目ですが、著作権(広義)には「著作者人格権」と「著作権(狭義)」があります。レジュメにそれぞれの権利の名前が書いてありますが、これらは全部、「別個独立の権利」だということです。
ですから、著作権、著作権とよく言うんですが、著作権という大きな権利があるわけではなくて、一個一個の権利が全部、別個独立の権利として存在していて、これを全部まとめて「著作権」という名前で呼んでいるというのが正確な理解になります。
ですから、皆さんも著作権を考える時に、著作権の侵害になるかという言い方ではなく、複製権の侵害か公衆送信権の侵害か、と言い方をするのが正確だと言うことになります。
これらの権利は、利用態様に応じて規定されています。権利の名前を見ると、それに対応する利用態様がわかるものが大半だと思います。少し分かりにくいのは「公衆送信権」だと思います。これはネットなどで配信する権利と放送・有線放送をする権利をまとめたものだと考えてもらえれば大丈夫です。
また、頒布権、譲権権、貸与権、というのがありますが、頒布は譲渡と貸与を両方含んでいる概念です。では頒布権は譲渡権、貸与権という何が違うのかというと、頒布権は映画についての権利で、譲渡権、貸与権は、映画以外の著作物についての権利ということです。

■コンテンツは著作物か?  

 さて、著作権について考える際の出発点は、問題となっているコンテンツが「著作物」かどうかです。著作権法には、著作物とは思想・感情を創作的に表現したもの、と書いてあります。つまり人の内面を 個性のある方法で表現したものだということです。裁判などで問題になることが多いのは「創作的に」という要件ですが、これは判例では「個性」と置き換えられています。その人ならではの持ち味が出ているかどうか、といったところです。

この創作性のハードルはそれほど高いものではありません。写真についての裁判例をご紹介します。こちらの写真は、家庭の主婦が我が子を抱っこしている夫の姿を庭で撮ったスナップ写真です。赤ちゃんの部分がトリミングされていますが、何気なく撮ったスナップ写真で、使ったカメラも特殊な機材ではありません。この写真について、裁判所は、一審から最高裁まで一貫して、著作物と認めました。なぜかの説明は難しいところがありますが、皆さんがスマホなどで友達の写真を撮る時など、撮る角度や背景を素人なりに考えて撮るかと思います。そこに撮った人の個性が現れている、という評価をしています。
もちろん、創作性がないとして著作物にはあたらないとされた裁判例もありますが、基準がファジーだということ、そしてこのような写真に関しても著作物と認められているということを踏まえるとSMS などでアップされている写真は、それがどんなに何気なく撮られたと思われるものであったとしても、全て著作物で著作権が成立すると考えていた方がよいわけです。

問題となっているコンテンツが著作物にあたらないということになれば、著作権について考える必要はないのですが、以上のように著作物かどうか、創作性があるかどうかの基準がファジーで、しかもそれほどハードルが高いわけではないということからすると、現場レベルでは一応全てのコンテンツが著作物にあたると考えておくのが無難だといえます

■コンテンツの権利者は誰か?
先ほども話したように、原則的には、著作物を創作した人が著作者となり、著作権の権利者になりますから、外部のクリエイターに作品を提供してもらう場合は、そのクリエイターから著作権譲渡または利用許諾を受ける必要があります。
著作権譲渡について注意すべきなのは、著作者人格権は譲渡することのできない権利であるということです。そこで著作権を譲渡する契約では、著作者人格権は譲渡できないので放棄する、と規定されていることがあります。人格権を放棄しろというのはなかなか乱暴な話で、そんな条項が有効なのかについては異論もありますが、実務上そういう状況がまかり通っています。
それから別の資料で、著作権譲渡の場合、27条と28条の権利が譲渡の目的として特掲されていないと、これらの権利は譲渡した者に留保されたものと推定する、という面倒くさい条文があります。27条の権利とは、音楽では編曲、文学では翻訳などをする権利、28条の権利とは編曲や翻訳などをしてできた作品を利用する権利です。つまり、27条と28条の権利の譲渡を受けていない場合、作品は加工したりすることなく、そのままの状態で使わなければならないということになります。ですから、加工したり編曲や翻訳といった二次的な作品を作ろうという場合には、これらの権利ももらっておく必要があります。


■著作権についての例外とは?
創作した人が著作権を手に入れるということの主な例外として、1、職務著作 2、映画の著作物、があります。今日は映画の著作物については割愛させていただきます。
 「職務著作」は会社の社員が職務上創作した著作物で、一定の要件を満たすと会社が著作者になります。細かな要件はいろいろありますが、大事なのは、会社が自己の著作の名義のもとに公表することです。逆に言うと個人の名前が表示されている場合は、職務著作の部分を満たさない、その結果原則に戻って個人が著作者になる、ということです。
 中には微妙なケースもありまして、「ラストメッセージin最終号事件」という事件があります。これは、雑誌の休廃刊に際してのメッセージだけを集めた本が出版されたところ、雑誌の出版社が出版の際止め(差し止め?)などを求めて訴えたという事件です。
 この事件では、一部のメッセージについて、それを書いた雑誌の編集長の名前が表示されていたので、個人の名前が表示されているから職務著作の要件を満たさない、だから訴えている出版社に著作権はないのではないか、ということが争点となりました。
 最終的に裁判所は、編集長の名前は表示されているが、雑誌の編集長という肩書も併せて表示されているのだから、個人名がたまたま書かれていたとしても表示されているのはあくまで法人の名義なのだ、と判断されました。  
 この判断は、雑誌によっても変わってくるかと思います。創刊号の時からずっと同じ編集長がその雑誌を担当していて、誌面にもその編集長の個性が色濃く出ている、そういう雑誌がとうとう廃刊になってしまった、という場合だと肩書が表示されていたとしても、その表示は編集長個人なのだ、という判断がなされる可能性もあるだろうと思います。

■編集著作物 ~複数の人の著作権が重畳的に成立している
イレギュラーな著作物ということで「共同著作物」と「結合著作物」がありますが、皆さんに関しては、そんなに気にされなくてもいいと思います。編プロとしては、次の「編集著作物」がとても大事です。これは、どのコンテンツを掲載するのか、どういう順序や配列で掲載するのかに着目した著作物です。編集作業を行う皆さんにとっては非常に重要なものとなります。
 ここでは、ある建設会社の広告が説明するのに使いやすいと思って持ってきました。業務上、皆さんもこういったものを作ることがあると思いますが、これにはいろいろな著作物が関係しております。イラストについてはイラストレーター、文章に関してはライター、写真に関してはカメラマン、そして全体のレイアウトに関しては、編集著作物として、全体のレイアウト等を行ったデザイナーさんの「編集著作権」が成立しているということになります。
 時々、見開きの誌面そのものを使うということに対して、イラスト、文章、写真それぞれのコンテンツの権利者から許可をもらえばできますか、という相談を受けることがありますが、全体のレイアウトについても権利があるので、そのままでは使えないということになります。
 コンテンツ・イラスト・写真・文章の許可をもらった上で、コンテンツの配列を、抜本的に直してしまう、レイアウトも変えてしまう、例えば、ウエブに展開するにあたって、全然、見栄えを違ったものにすると、編集著作権の侵害にはならないので、各々のコンテンツの権利者の許可をとれば、リライト的な形で可能ということになります。

■著作権の譲渡について ~相続人全員の許可が必要!
 コンテンツの権利者に関してもう1つ注意することがあります。それは著作権の相続です。
 今回の著作権法改正により、著作者の保護期間が死後50年から70年になりました。正確には死亡の翌年の1月1日から起算して70年です。去年までは50年でしたが。
数年前に江戸川乱歩の著作権がすでに死後50年経過して、著作権が切れました。ただ江戸川乱歩は死後50年が経過しましたが、70年は経過していません。では、死後50年で一回権利が切れたものが、改正により復活するのかという質問をいただくことがありますが、復活はしません。つまり、死後50年の保護期間が過ぎたものの権利が復活することはなく、死後50年時代に保護期間が残っていたものの寿命が死後70年に延びたということです。
画家の藤田嗣治さんの著作権は、昨年の12月末日で保護期間が満了するはずでしたが、保護期間を70年にする法律が12月30日から施行されましたので、藤田さんの著作権は20年延びたわけです。
このように、著作権の保護期間が著作者の死亡後70年ということになると、避けては通れないのは相続です。
 70年となると子ども、ひ孫までいくこともその先まで行くケースもあります。少し前にある企業からご相談があったのは、あるイラストレーターがその会社の広告のためのイラストを提供していて、生前はその会社が無料でさまざまな媒体に利用することも認めていたのですが、その方がお亡くなりになって、奥様から使用料、あるいは著作権を買い取ってほしいといった要望がきて、対応に苦慮しているというものでした。
 使用料や買い取る場合の対価の相場も問題になったのですが、よくよく話を聞いていたら、そのクリエイターは、お子さんが何人もいるということでした。
その時、アドバイスしたのは、法律上、著作権は子どもたちも相続している可能性がある、さらに、この奥様がいずれお亡くなりになってしまうと、奥様が持っていた著作権は、子どもたちに、その時点で子どもが亡くなっていて孫がいたら孫にいきます。そうして相続人の数が増えた場合、著作権を誰が引き継ぐかということが、全員の協議で決まればいいのですが、揉めてしまってそういう協議ができなかった場合どうなるか、ということです。
著作権法では、このように相続人全員が共有している状態になった場合、原則として、共有している人全員が OK と言ってくれないと、著作物の利用ができないということになっています。
ですから、死後70年という保護期間の長さを考えると、相続人全員からの許可が取れないということで、使えなくなる作品もあるのではないかと思います。

■「人格権」は死後失われるが、使うとクレームがくる!
  「著作者人格権」という権利には、譲渡ができず、相続もされず、著作者が墓場まで持っていく権利です。ただ、遺族に一定の権利があるので気をつける必要があります。
 著作者が亡くなると人格権は権利者がいなくなって権利は消えてなくなるはずなのですが、著作者の死亡後であっても生前であれば人格権侵害となる行為をしてはいけないということになっています。ですから、ベートーベンの曲を勝手に編曲すると、ベートーベンの生前であれば同一性保持権という著作者人格権の侵害になってしまいますから、死後の現在であっても勝手に編曲してはいけないということになります。
では、違反した場合はどうなるのか、編曲してはいけないといっても当の本人はとっくに亡くなっているではないかと思うと、配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄妹姉妹が違反した行為に対してクレームをつけることができることになっています。この遺族の範囲は民法の規定している法定相続人の範囲と一致します。
 従って、理論上は著作者人格権は権利者が死ぬと消えてなくなるのですが、実務上は相続をされる、と考えた方がいいわけです。


■利用方法が著作権に抵触する? ~紙媒体をWebで使用する場合
 著作権を持っている人が誰か、ということを追いかけて行った後で、今度は利用方法が著作権に抵触するのかどうか、という問題を考えることになります。
先ほども申しましたとおり、「複製権」「譲渡権」「公衆送信権」といった1つ1つの権利(これを「支分権」と言います)はそれぞれ別個、独立の権利ですから、例えば作品を紙媒体に掲載することに関しては 「複製」して、「譲渡」するということで複製権と譲渡権が関係します。Web に掲載する場合は、「複製」して「公衆送信」するということで、複製権と公衆送信権が関係します。ですから、紙媒体の許可をもらっていたとしても、公衆送信権の許可をもらわずにWebに掲載すると違法になるわけです。
 少し前に、電子書籍が少々広まってきた時に、一部の出版社がカメラマンに対して、いっせいに書面を送りつてきたことがありました。紙媒体の雑誌のために提供してもらった写真に関して、「今後は Web でも使うので、Web で使うことに対して包括的に許可して下さい」というものです。紙媒体に掲載する許可しかもらっていなかったから、 Web で使うために別途許可を取るということですから、法律的には正しいわけです。
ただ、追加の対価は支払わないとか、雑誌と写真を切り離して写真だけを独立して使うこともできてしまうような規定になっているなど、ちょっとやり方に乱暴なところもあって、反発も招いたようです。
 もちろん、電子書籍がどのくらい儲かるのか分からないという状況だったので、許可をもらう段階で追加の対価が支払えないという出版社の事情も分からなくはありませんが、将来、利益が出たら按分する、というニュアンスも盛り込めばよかったのではないかと思います。また、カメラマンからすると雑誌のために提供したものですから、紙であれWebであれ、その雑誌と紐付けされた状態で利用される分にはあまり違和感もないのですが、雑誌から写真だけ切り離してファッション写真として使うこともできてしまうような規定には違和感、そして抵抗を感じるのも当然ではないかと思います。
 いずれにせよ、皆さんが許可を取る際には、こういう形で、紙で使うのか Web で使うのか、といった利用態様に対応する支分権を意識して、それについての許可を取ることが必要ということです。

■「支分権」ごとの許可がいる!?
また、さらに言うと、「支分権」の中でも、媒体が何なのかを具体的に限定することもあります。Webでの「公衆送信」の場合で言えば、どの、誰が開設して誰が管理している Web なのか、ものによってはURLを特定するということもあります。その URL を元にぶら下がっているウェブサイトなら使ってよい、という形をとることもあります。
 また、ある広報誌のためにコンテンツを提供してもらったという場合に、利用目的が2018年版媒体ということになっていた場合は、それが自動的に2019年版で使えるということにはなりません。2018年版ということで許可をとっているのであれば、2019年版は期間が過ぎてしまうわけなので、改めて許可を得なければいけません。Webに掲載したなら2019年版に切り替わる時点で即座に下げなければなりません。
このように、まず支分権ごとの許可がいる、ということとともに、支分権の中でも、具体的な利用態様や期間が定められていれば、それ以外の利用については許可が必要だということになります。

■問題のコンテンツは「一元管理」が大切!
そして、その次が大事ですが、権利処理をした支分権の種類とか、権利処理ができている範囲(媒体・期間・部数など)を「組織として」管理しておかないと、非常に危険です。
 私も担当したケースでいろいろありますが、特に映像や写真について、担当者のパソコンの中に大量にストックされている、その担当者は、クリエイターと連絡をとっていて、どういう範囲で利用しているものなのか、把握はできている。この状態だと問題になりにくいのですが、問題は、その方が退職されて誰かが引き継いだ場合です。 
 その場合、引き継いだパソコンにおびただしいコンテンツがあるわけですけれども、それぞれについて、いったいだれが権利者なのか、いつ手に入れたのか、著作権を買い取ったものなのか、利用許諾をもらっているのか、その内容は、というものなのか、といったことがわかりません。組織としてこの点をきちんと管理できてないわけです。
これはとても危険です。ある案件では、広告代理店さんがあるところから夏用のCMということで利用許可をもらって使わせてもらった映像が、担当者のハードディスクに保存されていたということがありました。そして、その担当者が変わって、前年のCMの映像を手直しして今年のCM映像を作ろうということになり、問題の映像も使用したCMを流したところ、権利者からクレームが来たということがありました。
速やかに穏便に解決ができたのでよかったのですが、広告代理店から収められた映像にそんな問題があるとは予想もしていませんから、大騒ぎになりました。
特に映像制作を日常的に扱う広告代理店ですら、そういう状況が起きているということに驚きました。出版社や編プロでも同じような状態になっていないか、少し心配しています。
こういう問題を避けるためにも、一定の期間が経過すると自動的に消えてくれるデジタルコンテンツというものが、もしあればいいのに、と思いますが、そういうものもないため、
デジタルコンテンツを保存しておくと、うっかり無断使用してしまうリスクを伴うことになります。
編プロの立場で言いますと、他の出版社に無断使用のコンテンツを含む成果物を提供した場合、権利者からクレームが来た場合は、販売はストップしてしまいますし、場合によっては在庫を回収して廃棄することになります。版元からも信用毀損などの理由で損害賠償を求められる可能性も出てきかねません。
ですから、コンテンツの管理は組織としてきちんと取り組まないとまずいわけですが、私の印象では大手の出版社、広告代理店などでも完璧にできているところは多くはないのではないかという気がします。皆さんの会社でも、いろんなコンテンツをお持ちだと思いますが、一元管理できているか、改めて確認していただきたいと思います。  

■「戦時加算」~著作権は死後80年に!
著作権の保護期間は死後70年と申しましたが、海外のコンテンツに関しては「戦時加算」という面倒くさいものがあります。戦時加算というのは、連合国民が権利者の著作権については、通常の保護期間に第二次世界大戦の戦争期間(国によって多少異なりますが、おおむね10年間です)を加算しなければならないというものです。
例えばアメリカの著作物を例にとりますと、第二次世界対戦の最中に、アメリカの著作物を利用するためには、アメリカにいる権利者に連絡をし、許可を取り、要求されたら対価も支払わなければなりません。でも、戦争をしている最中ですから、そんなことはしていたはずがありません。ということは、日本国内ではアメリカの著作物は、著作権を無視して利用されていたことになります。したがって、保護期間には空白がある、だからその空白期間の約10年間を延長しろと言われたわけです。それが戦時加算です。この制度がありますので、海外作品については、著作権の保護期間は死後80年と考えておくのが無難です。

■許可を得なくてOKの場合 ~私的使用のための複製
著作権法には許可を得なくても著作物を利用できる場合が定められています。皆さんにとって身近なのは、私的使用のための複製というものです。皆さんもやってらっしゃると思いますが、CD を買った人が自分で聴いたり家族に聴かせたりするために、パソコンやスマホやMP3プレーヤーに取り込むといった行為は、複製には該当しますがやってもいいということになっています。
ただ、これには例外があります。重要なのは、著作権を侵害する自動公衆送信を受信して行うデジタル方式の録音・録画というものです。つまりネット上で違法に配信されている著作物のうち、録音・録画ということですから映像と音楽をダウンロードして取り込むことは、たとえ私的使用目的であっても許されないとされています。ただし、違法配信されていると知らなかった場合は、許されるということになっています。
自分で楽しむ目的であったとしても、これを録音・録画以外にも、つまり映像や音楽以外の著作物にも拡張するかどうかが喧々諤々と議論されています。漫画をはじめとする出版物の海賊版があまりにも横行しているということが背景にあります。

■引用と転載
 次に、相談としてとても多いのが「引用・転載」です。皆さんのように自分たちが作る作品の中に、ほかの人の作品を取り込む、という行為を適法にする規定としてはこの引用はとても便利なのです。ところが、この引用の要件はとても曖昧なため、「こういう利用の仕方をすれば引用の要件をクリアする」というアドバイスがしにくいのです。
 最近でも、ある出版物に掲載されているコンテンツを使いたいという時に、出版元に連絡をとったところ、かなり前に出した出版物のため、「当時の担当者がいない、誰に連絡をとっていいいかも分からない、だから出版元としては、許可は出せません、使うにあたっては、自分で権利者を探して許可をもらうか、あるいは、引用の要件をクリアして、許可がいらない態様で利用してください」と返されてしまうケースがありました。権利者を探すのは無理ですから、なんとかして引用の要件をクリアしないといけないわけです。
さて、その引用の要件ですが、条文の要件として、1、公正な慣行に合致すること、2、報道、批評、研究その他の引用の目的上、3、正当な範囲内で行われる、ということが要件とされています。
何度も言いますが、とてもファジーです。これでは判断ができないということで、昭和55年の最高裁の判例が、条文を完全に無視した規準を立てました。それは、「明瞭区分性」と「附従性」というものです。
「明瞭区分性」は引用を含む著作物の表現形式上、引用して利用する側の著作物と、引用されて利用される側の著作物と明瞭に区別して認識することができるということです。例えば、かぎカッコでくくる、一段下げる、フォントを変える、ということをしなさい、ということですね。
「附従性」というのは、両著作物の間に前者が主、後者が従の関係にあると認められることが必要だということです。つまり、あくまで自分が作る作品がメインで、引用して利用する他人の作品は、あくまでそこに付随するものでなければならないというわけです。
条文と比べると、この2つの要件は比較的明確ではないかと思います。ただ、少し、堅苦しすぎるのではないか、という議論もありました。
ここにご紹介した例は、「ハイスコアガール事件」と呼ばれているものです。ご覧のとおり、漫画の中にゲームのキャラクターが登場します。これらは全部、実在したゲームです。ゲームセンターで、ゲームで遊ぶ子どもたちを描いている漫画ですので、当時、実在したゲームのキャラクターが漫画に登場するわけですが、ゲームのキャラクターの著作権をもっているところが、この漫画が著作権を侵害するとしてクレームをつけた、という事案です。
この事件はとてもショッキングなものでした。どうしてショッキングだったかというと、この事件では、当事者双方に弁護士がついて、交渉中であったところ、突然、出版社などに対して警察の強制捜査が入ったのです。言論の自由の担い手である出版社に対して、しかも民事で交渉中に警察が強制調査に入ったということで、とてもショッキングだったわけです。
 もちろん、出版物をコピペしただけの典型的な海賊版だったら、それほど驚くことはなかったでしょう。しかし、この漫画はそういったものとは全く違いますから、この事件をきっかけとして、こんなことができてしまうのか、著作権法というのはかなり危ない法律ではないか、ということが意識されるようになりました。
この漫画ですが、ご覧のとおり、先ほどご紹介した最高裁判決を前提とすると、「明瞭区分性」という要件は満たしません。どこまでがゲームのキャラクターで、どこまでが漫画家が描いたキャラクターか、ぱっと見て、明確に区別できる態様では描かれていないからです。このように引用の要件を満たさないとなると、違法なのは明らか、ということになります。
 ところが、レジュメにもどりますが、平成22年に知財高裁が引用の要件を見直す判決を出しています。そこでは、1、他人の著作物を利用する側の利用の目的、2、利用の方法や態様、3、利用される著作物の種類や性質、4、当該著作物の著作権者に及ぼす影響の有無・程度、といったものを総合考慮して、違法かどうかを判断しましょう、というものです。
 この基準によりますと、ゲームのキャラクターを漫画の中に登場させたからといって、ゲームの売上げに全く影響がありません。この漫画の中でのキャラクターは、あくまで付随的な役回りを果たしているにすぎません。漫画家が描いたオリジナルのキャラクターたちが登場する話の中に、ちょこちょことゲームのキャラクターが登場する程度です。また利用の目的としては、この時代を生きた子どもたちを描くために、その時代に実在したゲームのキャラクターをどうしても登場させたかったのだろうと思います。明瞭区分性という最高裁の基準を満たしていないけれども、知財高裁の出した基準に照らすと、引用の要件を満たしているという結論も導き出せそうな気もしてきます。
 このように、知財高裁の判決は、柔軟に判断できるという意味ではいいんですが、結局総合考慮というと、基準としてはファジーになってしまうというのも悩ましいところです。何より、これはあくまで高裁であって、最高裁の判決が覆っているわけではありません。
という状況のため、先ほどのように「引用の要件を満たしているか」という相談を受けると、従来の最高裁判決にしたがってアドバイスをせざるを得ないということになります。
以上が著作権の基本的なところです。次に、編集者の著作権法ということで、最近のトピックス的なところを、少しお話したいと思います。

2 編集者と著作権

冒頭で紹介した『遺体』と『美しい顔』というノンフィクションと小説に関して、ネットなどで「著作権に詳しい○○弁護士」の様々なコメントが氾濫していました。それを見ていたら、事実は著作物ではない。事実をどう表現したかが著作物である、だから書かれている事実をパクっても、文章表現をパクっていなければ著作権法は問題がない、という論調のものがとても多かったです。
 『遺体』というノンフィクションに関しては、津波の被害によってお亡くなりになった方の遺体が、安置されている場所において、どういう状況で安置されていたとか、張り紙があって、遺体の特徴などが書かれていて、ご遺族らしい皆様がそれを見つめている、といった内容を書いている文章が紹介され、『美しい顔』の該当箇所と比較されていました。その上で、描かれている事実が同じだからといって著作権侵害になるのではない、というように、著作権侵害にはならない、という意見が多かったのかな、という印象を受けています。
 ただ、1つはモラルの問題があります。ノンフィクション作家が行った事実を取材するための労力にタダ乗りしているのではないか、ということです。私も、あるノンフィクション作家の方が命がけで取材をして書いたノンフィクションに描かれている事実を、他の作家があたかも自分が取材したものであるかのように描いたことからトラブルになった件を担当したことがあります。実際に取材をした作家は激怒していましたが、著作権侵害かどうかはともかく、激怒するのも当然だろうと思いました。
そのケースでも、また『遺体』と『美しい顔』でも、「参考文献」として挙げて書かれているのであれば、そこまで大きな問題にはならなかったかもしれません。著作権侵害にあたらないとしても、参照して、その内容を拝借したのであれば、参考文献として掲げるということは、考えておいた方がよいと思います。
 実は、私は法的にも問題になる余地があるのではないかと思っています。それは、事実の取捨選択という観点からです。ノンフィクション作家が取材に行った際には、無数の事実に触れます。その中で何を、どういう順序で、どう表現するかを決めていきます。映像に置き換えて考えてみますと、例えばこの会場の様子を映像作品にしようとしていたら、どこから撮るか、何を撮るか、引いたところからアップするのか、逆にアップしたところから引いていくのか、などなど、撮影するカメラマンによって撮り方は様々だと思います。文章も同じで、皆さんがこの会場の様子を文章に書けと言われた時に、何から書くか、どう書くか、といったことは、人それぞれではないかと思います。ノンフィクションでも、何をどういう順序でどう書くかは、作家さんそれぞれに視点や文章を書く目的などによって異なるだろうと思います。
そうして描かれた作品と、同じ事実を、同じ順番で、文章表現だけちょっと変えて書いたという場合に、そうすると、本当に著作権侵害にならないのでしょうか。私は少し疑問にも感じています。編集著作物のところで、選択と配列に着目して著作物と認められる、と述べましたが、ノンフィクションにおいてどういう事実を、どういう順序で描くかということについても著作権が成立するのではないか、という気がしているわけです。もっとも、こういう意見を書いている方はおられないようですが。

■フォントをめぐる問題
  出版物については古くからある問題としてフォントがあります。通常のフォントは著作物に当たらないということで最高裁判決も出ていますが、使用許諾の条件をめぐるトラブルをよく目にします。
 フォントプログラムはたくさん市販されていますし、ネット上でもダウンロードできるものもたくさんあります。皆さんがそれを利用されることもあるでしょうし、皆さんが発注したデザイナーさんがそのフォントを使ってデザインをすることもあります。
ところが、そのフォントを雑誌や漫画の表紙のタイトルに使用した場合などに、トラブルになることがあります。というのは、その使用許諾契約のところで「商品への利用に関しては、料金が発生します」と書いてある場合があるのです。いわゆるフリーフォントなどと称して無償でダウンロードできるサイトにも、利用条件をよく見ると,商業利用する場合はちゃんとお金を払って使ってください、ということが掲げられていることがあります。
 これを見逃してしまい、利用規約に違反してデザインをクライアントさんに収めてしまった場合、もちろん出版社としてそれを使っていても著作権侵害にはなりません。デザイナーさんなどがフォントプログラムの契約違反ということで、損害賠償請求などを受けるということになります。
そうなった場合、先ほど出版社は著作権侵害にはならないと言いましたが、利用規約に違反していることを知りつつ、その表紙を使用し続けていることは倫理上いいのか、という問題が出てきます。やはりコンプライアンスという観点からは、そのまま使うわけにはいかず、デザイン変更を余儀なくされることになってきます。もちろん、その費用は、編プロなりデザイナーに請求するということになるでしょう。そういうこともあるので、フリーフォントなどの取り扱いには、よく注意をする必要があります。
 フリーフォントではなく、フリー素材についてみたことがありますが、フリーとうたっていながら、商用利用に関して利用料がものすごく高いとか、あるいはフリーと称して1、2、3と並んでいて、実はフリーなのは1だけで2、3は有料です、というケースもあります。そして、知らずに長期間使用し続けていた結果、莫大な金額を請求されるということもあります。ですから、フリー素材やフォントに関しては、よく気をつけておく必要があります。

■版元との関係で問題になること
 著作権から少し離れますが、版元との関係で問題になることとして、版元が編プロに対して、闇雲に著作権譲渡を求めることがあります。適正な代価の支払いもせずに、著作権を買い取ることが許されるのかについては、下請法などとの関係で問題となることがあります。
それから、そういう出版社から皆さんが著作権譲渡を迫られても、収めたものの中には外部のデザイナーさんやライターさんなどの作品が入っている、ところがその方々から編プロが著作権の譲渡を受けていない、だから版元に譲渡したくてもできない、ということがあります。ですから、著作権譲渡します、という契約書をつきつけられても、自分ではなく第三者に著作権が帰属しているものについては譲渡できません、という当たり前のことを記載することになります。
また2、闇雲な保証条項(第三者の権利を侵害しないこと)についてですが、納品するデータに関しては、必ず出版元で検証をし,検証に合格してようやく納品ということになるわけです。仮に第三者の権利を侵害していたという場合、検証した出版社の側に責任はないのか、全面的にこちらだけが責任を背負わなくてはならないのか、ということも本当は考えておかなければならない問題です。
最後に、3、版下データの取り扱い。これはセンシブルの問題で、昔だったら版下そのものの取り扱いというものがありましたが、今はデータ納品が増えていますので、データの取り扱いの問題が起きます。
少し前になりますが、ある編プロが、ある会社の商品カタログについてデータ作りをして、納品をしたことがありました。初めて仕事を受ける時点で、それは毎年、更新される商品カタログだったので、来年以降も継続して発注を受けられるだろうと見込んで、採算度外視のかなりの低価格で受注をしました。こういうことは、皆さんのところでもよくあるのではないかと思います。ところが、収めたデータを横流しされてしまい、翌年は別の会社がそのデータをベースに、多少改変を加えて商品カタログを作成してしまったため、トラブルとなったということがあります。デザインなどはかなり変えられてしまったため、著作権侵害という主張はできないため、なり苦労しました。
 こういうこともあるので、データを他社に提供すること自体を禁止する、ということも考えられます。もちろん、そんな条項を盛り込んでもらえるのかという問題はあります。そういうデータの取り扱いについても、下請法なり独禁法なりを活用する余地はないのか、ということも考えているところです。(了)


(平成31年2月21日(木)AJEC編集講座での講演より)

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