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出版コンサルタント 株式会社 スカイライター代表取締役 川辺秀美 氏 ソーシャルメディアは何を変えるのか? コンテクストが喪失している

次にソーシャルメディアが出版に与える影響をお話ししたいと思います。
まず、書籍の文字数に非常に影響を与えています。90年代は、平均8万~10万字でした。現在は一冊あたり6万~8万字に落ちています。この10年で2万字も落ちています。これは私の実感値ですが、恐らくブログやソーシャルメディアの影響によって文字数が減っているのではないかと推測されます。
そして、ソーシャルメディアは言葉や文字文化から見た目・デザイン重視という流れをさらに加速させているのではないかと思います。
なぜかというと、ソーシャルメディアは「言葉の深さ」ではなく「言葉の雰囲気」であり、全体のパッケージの中での「希薄な文字文化」だからです。
その影響は本の世界では加速度的なスピードで広まっているように思えます。たとえば、本の内容は薄くてもパッケージにこだわるとか、タイトルやコピーに重きを置くといったところに既に現れています。
ソーシャルメディアは「軽さ」と「雰囲気」なわけですから、その流れで書籍も即効性を感じる内容と軽さ、それと時代を感じさせるモダニズムが求められているのではないかということです。
これに関連して、最大の変化はコンテクストの喪失です。昨年大ヒットした『もしドラ』を読まれた方は分かると思いますが、ドラッカーの引用部分と高校野球部のストーリーはそれぞれ独立した世界として存在していて、そこに「コンテクスト」はありません。私はテキストだけの世界だからこそ、すごくウケたのではないかと思っています。
『超訳 ニーチェの言葉』も同様です。ニーチェの本来の像とは無関係にして、ポジティブな側面に光をあてました。ですから、専門家からは「あれはニーチェではない」という声があがっています。でも、読者にとってはそんなことよりも、独立したテキストとしてのインパクトがあったということです。
そう考えると、文章、編集という概念をもう変えざるを得ないのではないかと思います。つまり文明の歴史と共に歩んできた「書物」の論理構造というのは、今の読者には不必要な気がします。それが今、どんどん解体されているのですから。そういう視点で編集制作を考えると、また新しい編集の世界を生むチャンスの時代でもあると思います。

読者を育てるにはコンテクストを理解する教育を

よく本が売れなくなった理由として、出版業界の構造上に問題があると言われていますが、そうではありません。「読者はもう存在していない」のです。ITの進化によって情報に接するという行為自体はより増えたわけですが、一方で本を読むという行為からは遠ざかってしまっているからです。つまり、本なんか物好き以外には無縁なのです。
ITが普及したこの20年間で、読者の本へのリテラシーというものが全くなくなってしまったのではないかと思います。プロの世界でも、「コンテクスト」を読めない編集者というのが驚くほど増えています。編集者、読者、出版社の「読む」リテラシーというのが相対的に落ちています。だから極端に「質の高い」書籍と出会う確率は低くなっています。良書が減り、本というものの威厳がなくなったからこそ、売れなくなっているのが根本要因なのです。
私自身が「読み・書き・伝える コンサルティング」を標榜して会社を設立しましたが、近い将来学校教育のなかで「読み」「書き」のリテラシーを高める教育をしていきたいと思っています。なぜなら、読者を育てる教育をしていかないと出版業界は今後成り立っていかないからです。
ここでいうリテラシーですが、私が定義している「読む」という行為は情報と情報を有機的に繋げて体系化するという行為です。つまり「コンテクスト」を読むということが非常に技術として大事なんですね。
インターネットの情報には「コンテクスト」がないんです。脈略のない情報が羅列されている。この情報をいくら読んだとしても、読むリテラシーは上がらないと私は思っています。
これは語学にも通じるところなのですが、語彙力を獲得するためには、それに関連する語彙をまとまって学ぶ機会がなければ、会得することはできません。それと同じで本を読まなければ、「コンテクスト」を理解するリテラシーは磨かれないということです。
私も昨年『空海 人生の言葉』を著した時、漢文を初めてきちんと読んだのですが、まったく理解できませんでした。中国の当時の文化背景や仏典への理解、漢文の礎となっている中国の漢詩についての教養がないと、いくら読んでも理解できないのです。そういった経験を経て感じたのは、異文化への理解がないと実は言葉というものは獲得できない。外国語を学ぶときは、文化や歴史的背景も学びます。同じように日本語も、受験勉強ではない文化や歴史の本質を学ぶ機会がなければ、語彙力は育たないという結論に至りました。

ソーシャルメディアの台頭で読書の価値が見直されている

そういう意味で今ソーシャルメディアが出てきた意義としては、人類が初めて「書く」ということを強いられている時代が到来したということです。今まで、企業であれば情報発信してきた人たちというのは広報、宣伝、あるいは経営者だったりという一部の人たちに限られてきたと思います。それが初めて個人レベルで、誰もが「読む」「書く」ということを強いられて発信しなければならなくなったということが、すごく大きなことだと思います。
企業人として、このソーシャルメディアにどう取り組んでいくのかというのは、非常に大きな問題です。
ソーシャルメディアは個人ばかりが目立ってしまうところに大きな課題があると思います。たとえば、スター編集者たちは、ソーシャルメディアで自分の担当書籍を宣伝するのに、ものすごいエネルギーを注いでいるのですが、個人ばかりがクローズアップされて、組織全体として利益が上がっているのか、というのは甚だ疑問です。また、このような使われ方が組織としてみて良い姿とは思えません。なぜならスタンドプレーになっているからです。
かつて、これほどまでに個人が情報発信できるステージというのはなかったのではないかと思います。だからこそ、「読む」「書く」ことが重要視されなければならないというふうに思います。
つい最近、ある大企業の季刊誌で「読書の意義について」原稿を依頼されたのですが、実は読書の重要性はソーシャルメディアの台頭によって、逆に価値が上がってきていると思います。
最近NHKでも取り上げられて話題になりましたが、難関中学の灘中で、明治時代の中勘助の小説『銀の匙』を3年間で通読するという授業があり、伝説の授業として取り上げられました。実はこういった国語力を育てる教育が求められている。読書というのは非常に考える力を育てる、語彙力を獲得するという意味で欠かせない教育です。
しかし一方で読者が自分の「読む」「書く」コミュニケーションを磨く技術を学ぶ機会が提供されなくなってしまっています。または読者を育てるための出版界の構造が破綻してしまっている。だからこそ、今読者を育てるために良書を編集できる編集者というのは、非常に求められていると思います。

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