先生が今まで日本で活動されていたなかで、子供たちがこんなびっくりするようなものをつくったというような例をご紹介いただけますか。
さっき申し上げたアニメをつくらせたときですね。全部自分たちでキャラクターをつくって4コマのカットもストーリーもつくって、粘土をこねて1コマ1コマ撮影して、それを全部パソコンで編集して、音も自分たちで入れて作品にする。それからインターネットや携帯なんかで人に見せてフィードバックをもらうというところまで全部自分たちでやるんですけど、そういう活動させるとやっぱりさすがに日本の子は、作品構成、起承転結みたいなものが漫画で鍛えられてるって言うんですかね、上手いなと思いました。
その子供たちというのは小学生くらいですか?
小学生です。1人でつくるときもあれば、3~4人が一つのチームになってつくる場合もあります。
そのくらいの子供たちですと、上手く役割分担をしたり、皆の意見を一つにまとめていくということがなかなか難しいのではないかと思いますが、そこはどうですか?
子供それぞれに特性があって、絵を描くのが上手い子とか、ストーリーやアイデアを出すのが上手い子とか、別に何もできないけど単に元気な子とかいろいろいるので、そういう意味で言うと何か働きどころがあると。それをどうコーディネートするかというファシリテーターの役割が決定的ですね。それはすなわち学校の先生の役割なんです。そのワークショップそのものが楽しくて、終わった後に「またやりたい」となる場合もあれば、「何となくどんより終わっちゃったね」という場合もあるんですけど、やはりそれは子供の問題以上にファシリテーターの位置付けが大きいと思いますね。
デジタルになってみんなが楽しく何かやろうとしても、結局はそこに立ってる現場の先生、ということですよね。その役割が非常に大事だということは、今とまったく変わらないというか、ますます大事になると思います。これまでのような、大勢を相手に先生の頭の中とか教科書に入ってる知識を伝えるという授業ではなくて、みんなが車座になって何か一緒に教え合ったり、学び合ったり、一緒に何かものをつくるという方向に向いてくる。そのときの教室にいる先生の役割というのは、過去100年の先生の役割と大分違うんじゃないかという気がしますけど、これってどうやら聞いてみると江戸時代の寺子屋はそうだったらしいんですね。みんなが車座になって教え合ったり学び合ったり、歳もバラバラだったり持ってる教材も違っていたり。それを私たちはデジタルの力を使って復活させるということなのかもしれないな、と最近感じています。半紙と筆がたまたまパソコンとかネットとかに置き換わってくるという、そういうことかなと。
そうすると今後デジタル教材の分野では、ファシリテーションが必要とされるような、子供たちのクリエイティビティの芽を誘発していくようなものが求められていくということですね。
そうですね。もちろん学習指導要領のようなベースがあって学力をつけるという教育の根本があって、その部分でもデジタル技術は役に立つので、そこに厚みを持たせるというのは変わらないと思うんですけれども、それ以上にデジタルならではの想像力をかき立てるとかコミュニケーション力をつけることができるので、そこも厚みを持たせましょうということにはなると思うんですよ。
しかもそういう新しい教材とか、どちらかというとゲームに近い感覚が必要なのかもしれないですけど、そういうのを作るのは日本の企業のお家芸というか、得意分野なんですね。これはチャンスだと思うんですよ。世界同時進行でこのデジタル化の波は進んでいくので、逆に市場が世界に広がるよと。日本の教材づくりとかコンテンツづくりの力を一気に世界市場に広げていくにはどうしたらいいかということが、すぐにやってくる課題だと思っています。海外向けに言葉をどう置き換えていくか、表現をどうするかという課題はありますが、それはこれまでゲーム業界とかアニメ業界がやってきた道でもあるので、それほど不可能なことではないと思います。そこで上手く成功モデルができればいいなと思いますね。
では最後に、これからデジタル教材を開発していくにあたってのアドバイスをいただけますか?
いずれ教育の情報化の時代はやってきます。あとは時間の問題。つまりビジネス的に言うと、必ずその分野は大きくなっていってきますし、国際市場も広がるので、それに対する対応や備えというのは必要だと思います。それをいつまでにとか、どれくらい授業で使われるかっていうのを決めていくには、これは政治でも霞が関でもなくて現場の先生と子供たちだと思います。子供たちがもっと使いたいという方向にいけばどんどん進んでいくでしょうし、これじゃいらないっていう教材しかなかったらなかなか進まない。現場を見ていくしかないんだろうなと思いますね。