1956年生まれ。78年東京電機大学工学部卒業、同年4月東京電機大学出版局に入社。理工系専門書やデジタルメディア関連の編集業務に従事する。07年より局長。00年から日本出版学会理事・事務局長、現在は副会長。そのほか国内の標準化委員や電子書籍にかかわる調査委員などを務めている。近著に『電子出版の構図 実体のない書物の行方』がある。
過去にもソニーの「リブリエ」登場の時のように「電子書籍元年」と評された年があったが、話題をさらっただけで市場をつくらないまま沈んでしまった。
一方、昨年から続く電子書籍ブームは、確実にこれまでのものとは違ったムーブメントが起きつつあるように見える。この時代の波をどう受け止め、編集制作会社は何を為すべきか。
国内外の電子書籍事情に詳しい東京電機大学出版局の植村八潮氏に、「電子書籍ブーム」の現状と、市場拡大のための展望を聞いた。※肩書き・役職等は取材時のものです。
昨年から続く電子出版向けのデバイスの登場で、巷では「電子書籍元年」という呼称が独り歩きしているような気がするのですが、植村さんは現状をどうご覧になっていますか?
現状の電子書籍は「ブーム」に過ぎないと思っています。今はまだ市場が立ちあがっていません。『もしドラ』のような単発のヒットは出ていますが、電子書籍総体が売れているわけではないですし、国内の出版社で電子書籍で利益を出しているところはありません。電子書籍制作に対する投資額は確実に増えてはいますが利益は回収できていない、というのが現状でしょう。
従来の書籍の概念から考える電子書籍というと、縦の文字組による文芸分野のものをイメージすることになると思いますが、文芸の電子書籍は今も売れていませんし、これからも売れるとは思えません。
縦組みの活字文化にこだわるのは、従来の書籍スタイルを愛している世代ですから、電子には移行しにくいと思います。
その世代はケータイ小説やスマートフォンのアプリなどを出版の概念では捉えません。彼らにとってケータイ小説やスマートフォンのアプリなどは「電子」ではあっても「書籍」ではないんですね。業界の固定観念が弊害を生んでいるところもあります。
たとえば、リクルートは雑誌売上高のトップ企業ですが、誰もリクルートを出版社という概念では捉えていませんよね。それと同じです。
では、電子書籍はどのように普及していくとお考えですか?
出版社の書籍が全部電子に移行するということではなくて、電子化に向いている分野の移行が進んでいくということだと思います。
たとえば英会話の教材本のように、もともと映像や音声をつけやすいコンテンツの分野は大きく伸びる可能性があります。実際に、海外旅行者向けの『旅の指さし会話帳』というアプリは音声を加えて人気が高いと聞いています。
また、紙のコンテンツをそのままデジタルに移行して、成功しているものは少ないというのが現実です。デジタル化の価値というのは、紙にはできないことを実現することにこそあります。
たとえば、ケータイコミックも、マンガというコンテンツをケータイというデバイスに合わせて、一コマずつクリックするというカタチにしたから成功しました。ケータイ小説も小説そのものを読むという価値ではなくて、コメントを投稿したりという、読者でコミュニティをつくっていく読者参加型であることに価値がありました。
電子辞書が旧来の書籍型辞書を凌駕したように、電子書籍も最適なデバイスが誕生し、それにマッチしたコンテンツのスタイルが確立した時に、本物の市場が誕生するのだと思います。
アメリカで電子書籍市場が拡大した理由の一つとして、市場の特性があるのだと思いますが、日本のそれとはどのような違いがあるのでしょうか。
まず、本を読むことの価値観の違いがあります。日本人は本への愛着と崇敬があるんですよ。本に対して神話性のようなものがあり、読書が崇高な行為のように捉えられています。それが本を本棚に並べておきたい「積読(つんどく)」だって価値があるといわれるゆえんだと思います。日本人は雑誌は捨てられても、書籍は捨てられないんです。だから、BOOKOFFのような業態が成立する。一冊10円にしかならなくても、捨てるよりはいいということですね。
一方、アメリカ人は本を捨てることに抵抗感が低い。ペーパーバックをバカンスに持って行って、読んだ後は捨ててしまう。それは情報パッケージへの価値観の違いで、捨てやすいからペーパーバックを読むんですね。だから、アメリカでは希少本の古書店はあってもBOOKOFFは成立しない。それに、アメリカのハードカバーは値段が高いし、ペーパーバックだって1500円くらいする。それが電子化されて1000円になったら、みんな電子ブックを買いますよね。だからキンドルは値頃感を出すために9.99ドルという値段にして、紙の本より圧倒的に安くしているんです。
それから、読書習慣の違いもあります。日本は電車のなかで読書をする習慣があるから、サイズの小さい文庫や新書など、なるべく手軽に読めるものが受け入れられます。ケータイは通勤電車という環境にぴったりはまったんですね。
アメリカの場合、通勤は車ですから車内で聞くオーディオブックが浸透していたりします。ようするに生活習慣によって売れるものは違うということです。
さらには、流通の違いもあります。アメリカは日本のように書店が多くありません。日本のようなスタイルの書店はアメリカ全土でも2500店くらいしかないといわれています。しかも、国土は日本の25倍もあるわけですから、書籍は簡単には手に入らない。通勤途中に書店があるのはニューヨークのような一部の大都市に限られています。
アマゾンが台頭する前は、本を買うために郊外のショッピングモールに車で行ったり、ブッククラブに入会して本を届けてもらったりというのが、本と出会う一般的なスタイルでした。だから、アマゾンがアメリカで成功する下地は充分にあって、キンドルが受け入れられたのも、こういった市場の特性があったからです。